自分は本を読むのがゲームと同じくらい好きなので、それに関する話題も多く書くことになる。今回は講談社ノベルス、舞城王太郎著、九十九十九を取り上げる。
この本は、元々同じ講談社ノベルスで出ている清涼院流水のJDCシリーズに出てくる探偵、九十九十九を舞城王太郎が書いた作品である。ただ単にキャラや設定を借りてきただけなら、よくある作品だろう。だが九十九十九はメタ探偵であり、この作品において真にメタ探偵足り得ている。
カードゲームなどでもメタという言葉が使われているが、小説においてはより高次元の、要は作品、または登場人物などに展開しているのが物語であり、それを自覚した上での文章なり、話が進められていくことである。そういう意味では、こうした日記と言うのは、常に書いている人間を意識しているわけだから、自然とメタになるといえないこともない。
この作品ではメタによる、入れ子構造のように話が展開していく。一章を読み進めていくと、主人公の生い立ちや物語が展開していく。そして次の章に入ると、時間が進み、主人公を取り巻く環境が変化する。二章では主人公が一章の内容を記された小説を読む。その内容が、半分が事実で、半分がウソであることが分かる。
そこで読者に変化が起こる。今まで読み進めてきた話はウソであり、二章で起きている現実とは別のものであったと。そして二章でも話が進み、三章へとうつる。三章でも、主人公は一章と二章の小説を読み、それらが虚実入り混じった内容であることを知る。
このあたりになると、読み手も今自分が読んでいるのも所詮はウソであり、次はまた異なる現実が展開していくのだろうとめまいのような錯覚へととらわれる。入れ子構造になった物語の中で、メタ探偵九十九十九は語り手=神を見つける事ができるのか、というのがおおまかな話となる。
もう一つ、舞城王太郎作品に共通する事だが、語り口のうまさ、というかそこで書かれる人間というものについてまさに圧倒的というしかない。主人公の九十九十九は、あまりにも美しすぎるために、他人が顔を見ると失神する、という非常識な設定をされている。
だがそんな人間が、実在したとすればどうなるのだろうか?九十九十九は産まれた後に、義母に連れ去られ、愛され、耳を削がれ、鼻を削がれ、眼をくりぬかれる。彼は自分の顔を見ても失神しない弟のツトムと、章ごとにことなる女性達と、そして三つ子の子供、寛大、誠実、正直と共に聖書の見立て殺人を解いて行く。これ以上は、何を書いても蛇足となりそうなので、興味があればぜひ読んで欲しい。
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